ハタハタ雑記

  ハタハタは鰰とも鱩とも書く。雪国の本格的な冬の到来は、鉛色の空、北西の強風、視界を閉ざし横殴りに吹き付ける雪、轟き渡る雷鳴から始まる。そして、ハタハタは、その時を待ちかねたように主に秋田の海岸を目指し大挙して押し寄せて来る。この頃になると水温が低下し、所謂エサ取りと呼ばれる小魚が磯から姿を消すからだ。卵を食べるフグなどの小魚が磯場からいなくなるこの時期を狙ってハタハタの産卵は行われるである。卵は岸近くのアカモクなどの背の高い海藻に産み付けられる。ハタハタの群れが押し寄せた後には赤子の握りこぶし大のボール状の卵塊が海藻に幾つもぶら下がる。

 日本海の荒波は海藻を揉みしだき卵塊は放り出され海中を彷徨う。昔は、渚に人の背丈を越すブリコ(卵塊)の山が延々と連なり、海辺の人々はブリコをリヤカーいっぱいに拾い集め冬の食料にしたものだと云う。交通も流通も未発達の時代、雪深い北国の人々にとって、この時期捕れるハタハタは長い冬に命を繋ぐ神の魚でもあった。

  囲炉裏の周りと囲炉裏の火を反射して赤く見える障子がだけが明るかった。高い天井からは絶え間なく黒い闇が降りてきて、そのわずかな明りさえ消そうとしているようだった。おそらく小学校に上がる前で、まだ家庭に電灯がなかった時代だ。
 チロチロと揺れる火を取り巻くように串に刺したハタハタが、頭を下にあんぐりと口を開け並んでいる。ハタハタの口元から涎のような粘っこい筋が測ったような時間間隔で垂れては灰に吸い込まれていった。横座に親父が座っていたが顔は暗くて見えない。幾つの時の記憶だろうか・・・。音のない静止画のような記憶だ。

 目標もないまま都会に出て、大手カメラメーカーの子会社だった最初の職場は一年しか続かなかったが一部上場を果たしたばかりの次の会社には二十年近くも居座った。時は高度経済成長の真っ盛り。札付きの不良社員でも何とか居場所はあった。
 故郷を離れてからは、ハタハタの時期には野菜などと一緒にお袋が漬けたハタハタの慣れずしが必ず送られてきた。秋田県人はこのハタハタずしが大好物なのだ。冬場、生の魚が出回ることの少ない内陸部ではハタハタの≪慣れずし≫は刺身に匹敵するご馳走だった。しかし、麹が醗酵して酸味が出たそれには家内も子供たちも箸をつけることはなかった。
 
 かすかな記憶をたどりながら初めて自分で捕ったハタハタを自分の手で慣れずしにしてみる。釣ったばかりの奴を丸のままやや強めに塩を振り丸一日漬け込んだら頭と内臓を除き赤水(血)が出なくなるまで水洗いと塩出しを繰り返す。水を切り、砂糖と味醂を適量加えた酢に一晩浸すと前処理が完成だ。飯鮨の飯の方は、御飯と麹を半々混ぜたのに大根の千切り、ニンジンのみじん切り、ふのりを適量加えて作っておく。まず樽の底に殺菌効果があるとされる笹の葉敷き詰め、その上に飯、ハタハタ、笹の葉と、順に何層も仕込んでいく。
 一月ほどして樽を開けてみた。そこにはまぎれもないお袋のハタハタ寿司があった。



 ハタハタは食糧が不足する雪国の冬の保存食で貴重な動物性蛋白源だった。ハタハタは安価で庶民的な魚だ。どの家庭でもトロ箱で何箱も買い込み、米ぬかに塩をたっぷりと混ぜて樽に漬け込むのだった。一月もたつと食べごろになる。焼いて良し、しょっ汁(つる)のカヤキ(貝焼き)にして良し、貧しい冬の食卓を頻繁に飾った。七輪に乗った大振りのホタテ貝の貝殻の中でグツグツ煮えるハタハタを突っついたのは何歳の頃だったろうか・・・。薄く立ち消えそうなかすかな記憶だ。

 移住一年目の冬、子供の頃を思い浮かべながら、夢にまで見たハタハタ釣りの戦果の大半を塩麹漬けにしてみた。醗酵した麹は捨てずに調味料として取っておく。これは、しょっ汁(つる)そのものの味で、鍋、炒め物などの隠し味として重宝する。麹漬けのハタハタはいつの間にか冷凍庫から消えていた。鍋にしたやら焼いて食べたやら、まったく覚えていない。


  初めてのハタハタ釣りだったが予想以上に釣れた。まったくの偶然だったがハタハタ接岸の初日に行き合わせたのが幸運だった。午前と午後のを合わせて100尾近い釣果を挙げた。噂を聞いて釣り人がわんさかと押しかけてからでは遅い。その後は20~30尾も釣れれば良い方だった。
 いつものことだが、夢中で釣ってからの後始末が大変だ。初物は、ブリコハタハタは味噌田楽にし、残りは手間がいらない丸干しにする。軽く塩を振り一晩置き、数時間塩抜きのために流水にさらし、最後に表面のヌルヌルが取れるまで水洗いする。近くの雑木林から細竹を切り出し、エラに通してずらりと干す。カラス除けのネットは必需品だ。家の東側が異様な雰囲気になってしまった。



  酒田北港の通称水路は庄内の唯一無二のハタハタ釣り場だ。最盛期には、県内各地から200人を超す釣り人が押し寄せる。水路は外海と高い防波堤で区切られている。数メートルの高さの防波堤を大波が乗り越えるような時化の日でも釣りができないことはない。この日も、大しけにかかわらず結構な数の釣り人が押し寄せていた。
 釣り人の種類も多様だ。良く釣れる場所は決まっているからそこに釣り人が集中する。それでも肩幅ぐらいの間隔で竿が並び落ち着くのだが、いきなり背後からその肩幅の隙間に竿を差し入れる輩も結構いる。竿にぶら下がっているのは、ハリが5~6本付いたサビキ仕掛けだから危険この上もないのだが、このようなことは日常茶飯事らしい。大抵は文句も言わずに暴挙を見逃している。カリカリしている私の方が異常らしい。


  ハタハタ釣り二年目は秋口から準備を整えていた。サビキは三十組ほど買い込んだし、イメージトレーニングもした。潮見表を眺めて接岸する日も予測した。大時化が続いた後の大潮の日が狙いだった。それから云うと酒田北港の初接岸は十二月十二日か十三日になる。
 
 2015年12月に入っても暖かい鱩の季節にはそぐわない気候が続いた。12月に入って間もなく秋田県のローカル新聞に象潟で網入れが始まったと云うニュースが流れた。それから2~3日大時化が続き、12月7日には小康状態となる。その前日、大時化の中、釣り場を回って来ていた。1年ぶりだから国道7号線からの入り口も確かではない。金浦漁港、象潟漁港と回り、道順をしっかりと記憶する。
 12月7日はいつもの時間に朝食をとり、自宅から車で30分ほどの象潟漁港に向かう。象潟漁港は大がかりな防波堤に囲まれ、漁船は外海とをつなぐ水路を通って出入りするようになっている。その水路の出口付近に竿を出す。釣り人は、対岸もあわせて20人ほどと少ない。ハタハタ接岸の情報が広がると40~50人が列を作るはずだ。

 先行者にポツリポツリと釣れている。水深は3mほど。竿先を上下させてアタリを待つ。私にも隣にも5分に1尾ぐらいの割で掛かってくる。どれもスレだ。ハタハタはサビキに食いつくこともあるにはあるが、ほとんどは引っかかって釣れてくる。だから、本格的な引っかけ釣法は禁止されている。
 そのうち水路先端の釣り人が投げ釣りを始めた。これが入れ食いだ。急いで水路と垂直に交差するもう一つの船溜まりの出口付近に移動して投げ釣りに変える。対岸の防波堤に近いあたりは藻場になっていてハタハタは確実に群れているようだ。投入のたびにハタハタが掛かってくる。藻に仕掛けが引っかかるのが難点だが、根掛かりでないために強く引っ張ると外れてくれる。初めは私の独壇場だったが、入れ食い状態を見て周りに釣り人が増え広く探れなくなってしまった。腕の疲れも溜まって来た。周りに神経を使いながらの釣りは面白くない。釣れ盛ってはいたが竿をたたむことにする。帰宅して数えてみたら80尾ほどあった。大漁だ。しかし、全部がオスでブリコハタハタは1尾もなかった。


  戦い済んで日が暮れて、ふと見上げると日本海の夕日を浴びた赤い鳥海山の峰々が神々しい姿で屹立していた



 2016年の季節ハタハタは随分と遅れてやってきた。例年なら地元吹浦や酒田北港あたりで十分釣れて遠征などしないのだが絶不調で、60~70キロも離れた本荘マリーナや松ヶ崎まで足を伸ばす羽目になってしまった。
 本荘マリーナは混雑とマナーの悪さで定評があるが、まだ第一陣が入ったと云う情報がないにもかかわらず大勢の釣り人が押しかけ、もう割り込む余地がなかった。
 結構な雨が降っていてた。やはり群れはまだ入っていないようだ。大半の釣り人は岸壁にクーラーを並べて釣り座を確保したまま車の中で様子見だ。


 


  本荘マリーナの入り口付近で外海に向けて5~6人が竿を出していた。入れ食いとはいかないがかなりの頻度でハタハタが上がって来る。港内に入り込むのも時間の問題のようだ。しかし、あの混雑では割り込む度胸はない。早々に松ヶ崎漁港へと向かう。


 


  象潟にも季節ハタハタがやって来た。群れが波止に押し寄せてくるタイミングに遭遇するとブリコハタハタ混じりで数釣りが楽しめるのだが、今年は毎回半日ほどズレてしまっている。夜灯りが点る漁港内では夕暮れから午後8時ぐらいまでが勝負のようなのだ。
 この時も「昨夜釣れた」と云って、朝釣り場に着いた時は皆帰り支度だった。もう昨夜の群れは去ってしまったようだ。番屋で一袋1000円也のオスハタハタを買って帰る。


 


 地元吹浦漁港にようやく季節ハタハタがやってきた。ここは群れが入って来るのは年3~4回だ。さらに、群れは防波堤の外側に沿って回遊するので凪の日しか釣りにならない。凪の日は、潮が澄み気味だと群れが見える。その群れだが、釣り人の仕掛けを避けるように移動する。釣り人はこの群れを追いかけ移動しながら釣るのである。だから大人数だと釣りにならない。
 この日は小さな群れで斥候隊らしかった。味噌田楽にすると美味い大型のブリコハタハタが2~3割混じった。多分この群れも明日いっぱいぐらいでいなくなってしまうに違いない。


 


 いよいよ本隊接岸。例年より10日は遅い接岸だ。午前中で100尾ほど釣りあげる。
 情報が伝わるのは早い。私が8時ごろ行った時は3~4人しかいなかった。それが正午近くには50人を軽く超えた。
 昼飯をのんびり食べてビデオカメラを携えて再び行って見たら70~80名に増えていた。群れは濃いらしく広範囲で竿が上がる。
 それにしても今年は(2016年)急に釣り人が増えて、余所者に盗人猛々しく噛みつかれたりと散々だ。


 youtubeの投稿動画は下記URLで。
         https://youtu.be/EJ8Z4MJ1k8c



 
 


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