7月4日
 海岸の崖っぷちにオニユリの花が目立つようになってきた。根茎は、その昔、貴重な食料だったようだ。
2月3日
 日本海は時化が続いている。鳥海山から流れ出た溶岩に石仏を刻んだ十六羅漢岩には波が砕ける。 向こうにみえるのは三崎公園 。太古火山で噴火口の痕跡が見られる。芭蕉が象潟へと辿った道は獣道のようだ。
 1月27日
 遊佐町は秋田県との県境、庄内平野の北端にあたる。鳥海山は目の前に大写しに見ることが出来るが月山は南南東の方向にようやくそれと分かる程度に小さく見えるだけだ。
 特に冬の季節にはなかなか頂上まで拝める日がないのだが、今日は珍しく姿を現してくれた。
  1月12日
 大寒波襲来の予報に身構えていたが積雪は少なかった。昨日はお袋がいる施設の新年会だったが参加予定を急遽キャンセルした。 今年の雪の降り始めに日沿道で吹き溜まりを越えようとしてスリップしてしまい、コントロールを失い対向車線に飛び出してしまったのだ。幸い対向車とも後続車とも距離が離れていたことで無傷で済んだ。
しかし、雪道を運転することへの恐怖感が深く刻まれてしまっていた。
 どこかでプラスマイナス1分時でも間軸がズレていたら確実に大事故になっていたに違いない。
8月9日
 昨年種を散らしておいた紫蘇が自然に芽を出し10株ほどが立派に育っている。消毒をしないので葉が虫に食われて適当な大きさになる前に穴穴だらけになってしまう。それでも紫蘇の成長は旺盛だ。
 コチュジャン入りの紫蘇巻きを作る。
 7月5日
 早朝、月光川の河口にスズキ釣りに出かける。たまにしか出かけないこともあり、未だに一尾も上げていない。
 この日もボウズ。咲き残ったハマナスの花を撮って帰る。
 2月22日
 2,3日時化が続き、今朝は風が止んだ。それでも時化の余波は残り、浜には白波が打ち寄せる。石鹸の泡を集めたような風花が渚に寄せては返し、勢い余って砂浜を転がったりする。
   2月4日
 庄内浜の防風林の中に一直線に道が走っている。風の強い日はこの道を歩く。直線距離にして7~8kmはある。防風林を管理する車輛の為の道で、一般車両は入れないようになっている。 
 防風林の中のクロマツは冬の強い季節風の為一様に陸側に傾いでいる。
 マツクイムシにやられ赤く枯れた松も見える。冬から春先にかけてこれらの虫食い松は伐採され、積み上げてビニールでしばらく覆われ燻蒸される。
 1月7日
 旧国道7号線が海岸線に沿って続き、それと隣接して一段高くなったところに羽越線が並行して走る。歩道は崖っぷちを縫うように続く。西の方は一望の日本海。ポツリと飛島の黒い島影が浮かぶ。
 途中には寂れた風情の湯の田温泉がある。今は一軒の宿が残っているだけだ。鳥海山信仰が盛んなりしころ精進落としで賑わったと聞くが、その面影はない。
 その湯の田温泉の手前、吹浦寄りに釜磯の浜がある。砂浜のあちらこちらに鳥海山の伏流水が染み出し奇怪な模様を刻んでいる。
田舎暮らしの記 
2017年
 1月20日
 牛渡川もサケの遡上が一段落した。最盛期は一日の捕獲数が1000尾を超すと云われているが、今年の遡上数は全国の例にもれず少なかったようだ。
 この川を湧水100%の澄明なの水が流れ下り、人工孵化場の取水口付近には梅花藻が川幅いっぱいに繁茂する。
 夏場に、ここを秋篠宮ご一家がおしのびで何度も訪れている。一昨年のことだが、早朝に釣り竿を担いでヤマメ釣りに行ったら川筋に何人もの人影があった。ヤマメ釣りに人影は厳禁だ。それにしても何事かと思っていたら秋篠宮ご一家の訪問だったらしい。
 8月16日
 子カマスも群れでサイズが違う。今朝の群れは人差指ほどもある結構いいサイズが混じった。
 南蛮漬けにする。
  プランターに植えて庭木の間を這わせていた南瓜が一株に一個づつ実を付けた。
 植物にとって日照時間がいかに大事か身をもって体験。
6月26日田沢湖の湖面に建つ辰子姫の像である。雨あがりで対岸の景色がかすんでいる。
 前夜は近くの田沢湖高原温泉郷のホテルで古希祝の会があった。食の貧しさに幼馴染との懐かしい再開の喜びも半減だった。聞けば韓国資本のホテルチェーンだった。 
 4月11日
 長崎から一緒に連れてきたシクラメンが見事な花を咲かせている。
 家内が出島の物産展で当たりくじを引いてもらった鉢だった。それから4年、色艶のいい葉の間から深紅の花びらが爛漫と咲き誇っている。
 3月19日
 この時期、月光川上流の人工孵化場から放流される鮭の稚魚を狙って河口にはスズキが集まる。
 そのスズキ目当てに、月光川河口にある吹浦漁港周辺は釣り人で賑わう。
 溶岩流に刻まれた仏たちが居並ぶ磯(十六羅漢岩)でも釣り人たちが一心不乱にルアーの投入を繰り返していた。

 
2月21日
 我家の目と鼻の先を国道7号線が通っている。田舎暮らしで自動車騒音の被害にあうなどとは考えもしなかったから、移住当初はノイローゼになるほど神経に触ったものだ。 
 冬が終わると雪国の道路は満身創痍の痛々しい肌をさらす。至る所で補修工事が始まるのだが、我家の近くも開通以来初めての全面補修が行われることになったようだ。
 表面の舗装を剥いでから1週間は経つのだが、その間に土砂を圧接しただけの路面は穴ぼこ、亀裂だらけになり、かくして我家は震度3クラスの地震の常襲地帯となってしまった。
 2月15日
 グランドゴルフコースは昨夜の雪に薄っすらと雪に覆われていたが、脇のマンサクの木には花がほころび始めていた。
 春はもうそこまで来ているようだ。
 2月11日
 この時期、空は気まぐれだ。陽が射したと思って外に出ると一転かき曇り、いきなり吹雪になったりする。
 この日はアラレだった。小豆粒を二回り大きくした位だったが、顔が痛かった。
 2月9日
 風が治まった日には渚をひたすら歩く。波はまだ高い。柔らかい砂の上を歩くと踏ん張る力が要る。それなりのエネルギーも消耗する。金のかからない筋トレだ。
 上空には雪雲があって太陽がかすんで見えている。太陽の沈む位置はまだかなり南に寄ったままだ。
 2月5日
 田舎の停車場はほとんどが無人駅だ。ここ吹浦駅も例外ではない。日に5~6本ある電車には大抵3~4個の頭しか見えない。
 鳥海山が頂を見せている。素人写真でこの山の大きさを表すのは難しかった。駅舎と重ね合わせたら大きさが表現できていた。
 1月31日
 神秘的なブルー。丸池様と呼ばれる湧水だ。傍を100%湧水と云われる牛渡川が流れる。
 丸池神社の小さな祠が畔に佇み、そこから見上げる斜面に巨石を背に古四王神社が、これも小さな祠だが、ある。
 この辺り一帯は出羽一之宮鳥海山大物忌神社の神域になっており、隣接して縄文時代早期から後期にわたる小山崎遺跡がある。
 1月28日
 冬の終わりを感じさせるような暖かな日だった。集落を通り抜け田んぼの中をまっすぐ伸びる道を2時間ほど歩き回る。
 途中、暖かい日差しを浴びて枯れた藪に雀の集団が遊んでいた。カメラを向けたら少したじろいだが枠に収まってくれた。
1月23日
 故郷横手盆地ではデロモンズ(泥モズ)と教えられた。ムクドリである。代搔きしている田んぼに群れで来てはオケラを啄んでいった。 
 そのムクドリがここ1週間ほど前から姿を見せるようになった。庭に一本のピラカンサスが生えていて、今季は赤い実をたわわに実らせた。それまではヒヨドリが2~3羽で遠慮がちに啄んていたのが、ムクドリが集団で押しかけて1週間もしないうちに坊主にしてしまった。
 1月18日
 浜辺には実に様々なものが流れ着く。そして、比重選鉱と同じような理屈らしいが、似通ったもの同士が体を寄せ合うように集落を作る。
 庄内浜に打ち寄せられる貝殻は単調だ。どれも白い石灰の塊にしか見えない。
 それにしても、この時期、こんな穏やかな海は珍しい。
 1月16日
 さしもの寒波も峠を越したようだ。久々の冬の青空に体ごと吸い込まれそうになる。月光川越しに鳥海山を仰ぐ。
 1月5日
 秋田県の内陸部に住む中学校の同級生がくれた奥羽山脈産のイワナだ。奥羽山脈のイワナ釣りは中学生の時に始めた。澄明な川底のイワナが目の前で水面に漂う毛鉤を咥えた光景を今でも鮮明に思い出す。
 この盛期のイワナはよく太っていた。じっくりと炙って水分を飛ばす。適度な焦げ目も必須だ。焼きあがるのに合わせて酒を温める。熱燗がいい。
 濃厚、芳醇。甘露、甘露。
1月1日 

 実家の解体を機に神棚と仏壇を無くした。今年からは初詣も止めた。地元の神社への寄付も断った。
 70年近く生きていれば見たくないものまでが見え、知りたくないものまで知ってしまう。神仏を敬う尊さや末は総理大臣などと云う世間に溢れる常套句とは遠くの世界へ来てしまっている
 それでいて神仏の前で無心に頭を垂れたりコツコツと努力している善意の人にはホロリとさせられてしまう。
 この一羽のカモメに己の姿を見てしまった。

12月30日
 ハタハタの気配。ラストラン。今度こそ大釣りだ。 
 12月27日
 今季最強の寒波が来て日本海は泣くがごとく怨むがごとく。波滾り立ち、走り、岩を噛む。
12月11日
 海藻に産み付けられたハタハタの卵塊。手のひらにすっぽりおさまるぐらいの大きさ。 
 12月21日
 束の間の晴れ間、鳥海山際立つ。
12月19日
 漁協の組合員から岩ノリを頂く。旬の味だ。 
 
 12月17日
 前日酒田北港にハタハタの先発隊が入って来たらしい。翌日釣り人がどっと押し寄せたが釣れるのは1/50人ぐらいと低調。
 
12月15日
 ハタハタの身ははアナゴに少し似ている。天ぷらにしてみた。 
12月13日
 長崎のIさんから伊木力佐瀬のみかんが届いた。長崎の最高級ミカンだ。 
12月12日
 シメサバならぬシメハタハタ。皮が固いのと生臭みが少し気になる。 
12月10日
 待望のハタハタがやってきた。場所は金浦旧漁港。ハタハタが良く釣れるのはピンポイント。無断割り込みは日常茶飯事。今日も嫌な親父が割り込んできた。 
 
 12月7日
 今年初の雪らしい雪が降る。
 
12月5日 
 何という種類の大根か?短時間で煮えて煮崩れせずダシをよく吸いおでん種にはぴったりだ。
12月2日
 十六羅漢岩に風花が舞う。季節ハタハタの到来を告げるカモメの群れは見えず。 
 12月1日
 今年初ながら冬本番並みの積雪量となった。
11月27日
 久々の凪。河口の淀みでサケが 時おり背びれを水面に出しては泳ぎ回る。そこにルアーを飛ばす不逞の輩。すぐ傍にはSTOP密漁の幟が。
11月23日
 金浦(にかほ市)の漁協直売所でいきのいい鱈があった。捌くと血がまだ固まっていなかった。 かなり成熟した白子が入っていて刺身で食す。
11月22日
 久々の晴れ日。鳥海山クッキリ。 
11月19日
 ミゾレが薄っすらと残った。いよいよ冬間近。
 11月10日
 ダイコンの燻製である。これを糠に漬けたものが秋田名物のイブリガッコだ。道の駅なかせん(秋田県大仙市)に予約を入れ今年は大きな大根を20本入手した。
 10本は松前漬けに、残りは正調イブリガッコ漬けにする。
 11月9日
 備え付けの洋服ダンス、押し入れ、天袋にガラスファイバーが詰まった断熱マットを敷き詰める。2~3度室温が違うようだ。
 
 11月6日
 山形市内から頻繁にやって来るIさん。時には車に泊まり込んで2日も3日も釣り続けるタフガイ。
 アジ釣り専門で5~6本の竿を並べる。コアジを生餌にしてヒラメを釣り上げた瞬間だ。
11月4日
 朝マズメに本命の秋アジは姿を見せなかったが子イワシがかずつれた。三枚に下ろし、水にさらして血の気を抜き皿に盛りつける。刺身はなかなか。 
 
11月1日
 傍の木を切ったおかげで小菊が元気がいい。去年の3倍は花の数が多い感じだ。
 10月31日
 小安峡温泉で日帰り入浴。温まった体のまま泥湯経由で秋の宮温泉に向かうも川原毛地獄付近から先は積雪で通行止め。林道の周りの紅葉も終わりで標高の高い山腹の木々は葉を落とし寂しげだ。
 
10月29日
 古希を迎えた爺さん6人がクラゲの展示で人気の加茂水族館へ。あいにくの雨にもかかわらず長蛇の列。次は孫を連れてくると言う。 
10月28日
 中学の同級生6人で羽黒山にある出羽三山神社へ。修験道にはいかがわしい臭いがあるが歴史を感じさせる建物は悪くない
10月25日
 西側に洗面所続きの浴室がある。入浴時は洗面所が脱衣所になるが、冬場は冷えに冷える。そのために今年はエアコンを入れることにする。
 ところが架台は固定してないし、腐食して粉を吹いていた。加えて室外機には二か所に傷が。
 10月24日
 季節外れの大型台風が通り抜けた後鳥海山はかなり下まで冠雪した。
 鳥海ブルーライン吹浦口から鉾立まで行く間の道には秋から冬までの景色が展開する。標高1000mより上は木々がすっかり葉を落とし、紅葉は標高600~700m付近が盛りだった。
 10月21日
 今年も庭の柿の木が豊かに実り、500個ほど軒周りに庄内柿がぶら下がった。
10月20日
 隣は常連さんの一人である蕎麦屋の大将。この地で育ちこの場所でずっと釣りをしてきただけにただけに地元名人の一人だ。
 大き目のコマセサビキ釣り仕掛けに掛かったマメアジをそのままぶら下げて探って来るとヒラメのアタリが頻発しだしたのである。7回アタリが来てそのうち4尾をハリ掛かりさせ、無事タモにおさまったのが3尾。どれも50センチ前後の食べごろサイズだった。全部蕎麦屋の大将がタモ取りしてくれた。これが不慣れな人だったら取り込みでほとんどバラしていたに違いない。 
 
 10月15日
 良型のカマスが連日好調だ。朝マズメ、夜が白々と明るんでくるとアジの群れがやって来る。それから20分もして周りがはっきり見えてくる頃になるとアジのアタリがぴたりと止まりカマスが食ってくる。
 25センチ級の良型カマスは夫婦二人では到底食べきれず、天ぷら、フライ用に背開きにして中骨を取り冷凍してある。野菜を頂いた時のお返しだ。
10月12日
 オニグルミを海で拾うようになってからは結構な量が確保出来るようになった。何でも経験でかたい殻を割るのも苦にならなくなった。我家のオーブント-スターで7~8分加熱するとてっぺんが割れてきてこの隙間に刃物を入れると意外と簡単に真っ二つに割れるのである。
 10月9日
 朝マズメは相変わらずカマスが絶好調だ。カマスの食いが一段落するとサヨリの幼魚が寄って来る。サヨリは水面近くを群れて泳ぐ魚だ。不運なサヨリがサビキのハリに引っかかって上がって来る。
 
 10月5日
 一夜明けて鳥海山は初冠雪。
 10月4日
 高さが3mほどの若木だが、毎年500個前後の実を着けてくれる。近所の柿の木は裏作らしく実の数が乏しいが我家の柿の木は例年通り500個は生っていそうだ。日向の実はかなり色づいて来た。まもなく干し柿作りが始まる。
 9月26日
 秋の魚の回遊が始まる時期になった。第一陣はカマス。25センチほどもある良型だ。癖のない白身でふっくらと揚がるフライは絶品だ。
9月24日
 春に膝の調子が悪くなり、それが最近まで続いていた。ようやく無理しなければ坂道の上り下りも出来るようになり、今年一回限りの鳥海登山を試みる。
 好きなオヤマリンドウは盛りを過ぎていたが、川原宿から鳥海湖周辺に掛けて草紅葉が 見頃だった。
 9月20日
 クルミの殻を割って身を取り出すにはコツがいる。オーブントースターで程よく加熱すると9割は先端に口が開く。この隙間に鉈などの刃の厚い刃物をこじ入れ断ち割る。
9月19日
 今年は紫蘇が良く育った。昨年の秋にこぼれ落ちた実から自然に生えたものだ。
 刺身のツマ、麺の薬味はもとより、何度も紫蘇巻きを作った。
 その紫蘇も白い花が咲き、実を付け始めた。紫蘇の実味噌漬けや醤油漬けにして保存食にする。 
 9月18日
  昨日は風が強かった。こんな日の翌日は早めに起きて、栗、クルミ拾いに出かけたものだ。
 この里では栗の木を見かけることは少ないが、クルミの木は多い。粒の大きいクルミが生る木の下で70~80個ほど拾う。
 9月17日
 小さなイカの死骸が打ち上げられていた。カモメが寄って行くとカラスが威嚇して追い払う。カモメは素直に引き下がるが傍を離れようとしない。彼我の力関係は分からないが最初に見つけたカラスに分がありそうだ。
 9月14日
 熟した稲穂の匂いが鼻をくすぐる。少年時代お盆も過ぎ、夏休みも残り少なくなるころ、寝そべって文庫本を読んでいると漂ってくる匂いだ。
 多感さがどこからくるかもしらずに過ぎた少年時代だった。
 9月13日
 釣りは孤独だ。いや、孤独だから釣りにいく。
 9月10日
 乳房の盛り上がりが先ず目を惹く。何とも輝くような美しい曲線だ。いまにも命の泉ががほとばしり出てくるようなエネルギーを感じる。しかし、白い肌、無表情とも見える顔面。死者が横たわっているようにしか見えない。
 8月31日
 秋アジの先発隊が姿を消した。アオコもカマスも居なくなってしまった。
 わずかに季節を告げるのがアオリイカの幼魚。胴長が10センチ前後と釣るには忍びないサイズだ。それでも食味につられて釣り人がひっきりなしに押し掛ける。
 8月15日
 小魚も釣れる時は50尾だ、100尾だと釣れる。しかし、アオコを除けば空揚げぐらいにしかならないサイズだ。今年は煮干しづくりに挑戦だ。
 8月11日
 今朝も3時半ごろ起きだし波止へ向かう。日の出前の空が白々と明るみ始める頃になると魚が寄って来る。魚の食いが佳境に入るころ丁度鳥海山の山頂あたりから太陽が顔を出す。
 8月10日
 久しぶりに投げサビキ釣りをしてみた。
 小カマス、マメアジ、コサバに混じってアオコ(ブリの幼魚)が釣れた。
 先端をまとめて握り軽く引っ張ると可食部分が根から千切れて採れてくる。
 8月6日
 水中の茶褐色の藻がエゲシである。漁師は水深1m前後の海底の岩に付いたそれを潜って採る。
 塩漬けして年中食べられるが、やはり今が旬。下ろし際の味噌汁にさっとはやして頂く。磯の味と香り、フノリのようなトロミが絶品だ。
 7月29日
 遊佐町は遺跡の宝庫である。時代も、縄文から中世に至る。隣の酒田市に入るが10キロほどいったところに、出羽国府の跡とされている城輪の柵がある。
 今日は、代表的な縄文遺跡である小山崎、吹浦、杉沢、柴燈林遺跡の展示説明会があった。
 中でも、杉沢遺跡出土の土偶の精緻な造りは圧巻だった。ふと、これは地元で作られたものではなく、他所の専門技術集団から得た交換品ではないかと思ったりした。
 7月25日
 日の出前の散歩を日課にしている。道端にヤマユリの花が目立ってきた。自然の移ろいに季節を感じる日々だ。
 7月23日
 今年は青じそが良く育っている。紫蘇巻きを作ってみた。郷土料理は私の担当だ。
 中に包むアンコは、地方によって違う。オフクロの作るのは味噌に砂糖を加えただけだった。庄内地方では小麦粉が入る。
 7月20日
 日の出前の鳥海山。いつの間にか雲の位置がが高くなっている。
   7月16日
 近隣で記録的豪雨に関する警報が出ていて、ここでも大粒の雨が叩きつけるような降った。
 やがて、外の雨だれの音と違うえらくリアルなピチャピチャという音に納戸をのぞくと雨漏りだった。
 この前雨樋を交換してもらったが、その時に瓦がずれてしまったらしい。ずれた瓦を直して一件落着。
 周囲の瓦も含めて緩んでグズグズ。次は屋根瓦の修理だ
 7月14日
 むのたけじの「99歳一日一言」の元旦の言葉である。

 一月一日
 拝むなら自分を拝め。
 賽銭出すなら自分に渡せ。
 自分をいたわれ。
 自分こそ一切の原点。

 
 7月10日
 湧水を集めて流れる牛渡川の梅花藻が花を咲かせている。
 7月9日
 夜が白々と明け、春アジの絶好の入れ食いタイムとなった。夢中で竿を振り、ふと顔を上げると夜明けの満月が煌々と水平線を照らしていた。
7月8日
 庭の片隅の空いているところを目いっぱい利用して10株のトマトを植えた。第一号が ようやく色付き始めた。
 こんな変化が待ち遠しく思える日常生活に感謝。
 7月2日
 夜中に起きてシロギスを天ぷら用にさばく。釣りに要した時間と同じぐらいかかった。
 7月1日
 待望のシロギスの群れに遭遇。今年は遅れに遅れた初キスだった。
 昼食後に出かけて午後五時のチャイムが鳴るまで入れ食いが続いた。
   6月29日ハマボウフウの花だ。地元の釣り仲間に教えてもらってあらためて気づいたようなものだった。
 しげく通う釣り場への道で見てはいたが、福島県では絶滅危惧種に指定されているほど希少種とは知らなかったのである。
6月24日海岸の崖っぷちの至る所にオニユリが咲いている。ある時代に食用として中国あたりから移入されたものらしい。
 この植生を見ると海流が種を運んできたようにも思えてしまう。 
 6月19日この春に直播したスナップエンドウの初収穫だ。隣との堺にあった植木を切った後に30株ほど植えてみた。
 途中で病気にもかからずきれいな実を付けている。
   6月18日イサザ或いはイサダという。体長が1センチほどのアミエビの一種だ。
 大きめの波がくると海水に浸かる渚の湿った砂の中に潜っていて、引き波に漂って流されてくるところを網で掬う。
 これを砂と混ぜて春アジ釣りの寄せ餌にするのである。丸一日は活きている。水中に投げ込まれると散り散りに泳ぎ回るから砂の煙幕効果と相まって集魚効果は抜群だ。
   6月15日春アジ釣りが絶好調だ。毎朝通い続けていて、地域のいつもおすそ分けする家にも行き渡ったので、今朝の釣った分は開きにする。
6月9日今回もネマガリタケがまずまず採れた。笹薮を抜け出し、南西の方角に顔を向けたら重畳と連なる青い山並みの高みに月山があった。 
 6月8日待望の春アジがやってきた。この時期産卵のために群れを成して岸近くにやってくるアジだ。
 夜明け前後の1時間ほどだが入れ食いだった。20センチ前後の体高のある幅広のアジが50尾ほど釣れた。
 6月5日今年は偵察した甲斐があって新場所を見つけることができた。
 雨後のタケノコを狙って早朝に出陣。念のため携帯ラジオをガンガン鳴らして笹薮の中を歩き回る。予想以上の収穫にニンマリ。
 6月3日去年ようやく1本育った青じその実を振りまいて置いたら今年になって何本か芽を出し、順調に芽を出し順調に育っている。
 紫蘇はナメクジも好物らしい。これから戦いが続く。
   5月31日日本海で初めて釣った海タナゴ。エサ取りが上手で釣り人には難敵だ。
 産卵を前に腹がパンパンに膨れている。海タナゴは卵胎生だ。腹からは卵ではなく稚魚が出てくる。
 5月28日シャクヤクの花も咲き始めた。
   5月26日
 つつじの花がが散りだし、後を追うようにバラが咲きだした。
 移住してから、3本のバラを植えた。そのうちのブルームーン以外は名前を忘れてしまった。このバラも思い出せずにいる。
  5月22日 
 ネマガリダケ採集ラインが標高400~500m付近まで上がって来た。
 様子見に行った先で路上駐車の車を発見。それも1台や2台ではない。見回すと遠くの笹薮に人影。
 都会人の距離感で接近。人差指ほどの立派なタケノコが採れた。
     5月19日
 鳥海ブルーラインの標高1000m付近にある大平山荘から眺めた庄内平野である。
 水を張られた田んぼの向こうに山頂に雪を抱く朝日連峰が見えている。
 足元ではブナの新緑が萌えている。
   5月14日
 つつじが花を咲かせ、庭が急に華やかになった。花のある生活もいいものだと思う一時だ。
  5月13日
 杉花粉ならぬ松花粉の飛散が最盛期を迎えた。海岸に造林されたクロマツ林は日本海から吹き付ける冬の季節風を防ぐには無くてはならぬ存在だ。
 幸い私も家内も花粉症とは無縁だから、雨上がりの土の上に鮮やかな黄色で隈取が出来てもあまり気にはならない。
 隣近所にしたところで、杉を切れとか松を切れとかという話も聞かない。  
   5月12日
 アジの群れが濃くなってきた。小一時間ほど入れ食いが続いた。
  5月10日
 ルアー釣りはボーズが続いていた。アジ釣り終え、返る途中で竿を出す。
 4~5投目で根掛かりのような重量感。竿を矯めるとギシギシとドラッグが泣き、敵は逸走する。
 慌てず騒がずやりとりを繰り返し、充分疲れさせたところでタモ捕り。
 60センチ、2キロの初ワラサだ。 
  5月7日
 春アジがやって来た。散歩を兼ねて波止の見回りを欠かさずにいたが、昨日ワーム釣りでアジを上げている釣り人を見かけ、今朝の釣行となった。
 夜明け前後の回遊のタイミングを計って釣行する。20~23センチの中アジだが、軟調の磯竿が小気味よく弧を描く。
  5月5日
 海藻類は漁協の組合員しか採れないことになっている。地元の漁港の内側は、幸い地元の漁師が漁業権を放棄したことになっているという。 
 ここで、少しばかりの季節の海藻を頂くことになるのだが、このモズクは潮が洗う磯場にしか育たない。
 正式にはイシモズクといい、オキナワモズクと別種だ。素麺ほどの太さ、長さがあり、シャキシャキした食感とメカブの様なヌルヌル感があり絶品だ。
 
  5月1日
 セェネバシと人々は呼んだ。村の南端、隣村大田村との境をなす斉内橋のことだ。橋の下を流れる斉内川は少年時代の記憶の大半を占めている。
 青める柳の若葉の向こうには残雪を抱く奥羽山脈。
 腹を赤く染めて淵に群れるウグイ。水の中から持ち上げた石の裏に産み付けられた赤や緑の卵塊はカジカの卵。ワッパで覗く急流の視界の中を空の燕の様に超特急で横切って行くヤマメ。
 もっと幼い時、母に手を引かれて佇んだ大渕の傍の冷たい石ころ。
 4月30日
 鳥海ブルーラインが28日に開通した。当日、翌日が雨模様で見送り、今日快晴の中、吹浦口から象潟口へと抜ける。
 例年に比べて残雪は多い。
   4月28日
 春爛漫。隣家のモクレンと椿が窓いっぱいに咲き誇る。
    4月25日
 雪解け水を集めて玉簾の滝は吠えるがごとく落ち、下って行く。水しぶきが逆光の中で跳ね、踊り、舞い上がる。 
 4月23日
 国道7号線の道端の斜面にワラビが出始めた。これからは早起き勝負だ。
 4月22日
 久々にギバサ(アカモク)が漂着。沖の潮が接岸を始めたようだ。いよいよイナダ、ワラサ、サゴシ、アジの回遊が始まる。
 4月21日
 長崎の客人を案内して中山河川公園へ。桜は七分咲き。良く晴れて鳥海山がくっきりと見える。絶景だ。
 4月17日
 越境して秋田県側の象潟まで遠征。道端の笹薮には人が踏み荒らした跡が幾筋も付いていた。他人が見落としがちな藪の端を重点的に探して味噌汁にタケノコご飯分は採ることが出来た。
 地元は不作のようだ。いつもの場所に行っても気配さえなかった。
 4月16日
 湯楽里の駐車場のソメイヨシノがようやく三分咲きに。去年よりは一週間ほど遅れている感じだ。
 
   
 4月14日
 雪を抱き眩いばかりの鳥海山が青空に向かって屹立している。雄大だ。
 コゴミ、サシボ(イタドリの芽)、セリ、ワサビを河川敷にて摘む。初物だ。
4月13日
 タラの芽採りは競争が厳しい。これ以上伸びるのを待つとライバルに採られてしまう恐れがある。ともかく初物を頂いて帰る。
 山菜の王様ともてはやすほど美味いとは思わないが、春を食べた気にはなる。
 4月10日
 長崎時代に大変お世話になった方が奥さんを連れて我家を訪ねてくれると言う。電気工事会社を経営する傍ら料亭も経営していて、奥さんはその料亭の女将さん。料亭に対抗するにはご当地の郷土食にしかない。
 まずは、旬のサクラマスを仕入れ、ルイベと寒麹漬けを仕込むことにする。
 4月9日
 もう少し伸びてからの方がいいのだがライバルが気になって摘んでしまう。
 天ぷらにして頂く。大地のエネルギーが注ぎ込まれる感じがした。
   4月8日
 道の駅鳥海の裏の森林公園ではタラの芽がいち早く出てくる。天ぷらには、この位のがいい。もっともこれ以上待つと目立ってきて誰かが採って行ってしまう。
   この木だけだが、エゾヤマザクラが満開だ。子供の小指の先ほどの小さな花びらを控えめに咲かす。
 里山の雪が溶けるとすぐに、一面の枯れ野だったところにポッと灯が点った様に点々と姿を現す。
 少年の胸に妖しいときめきが萌す花だった。
 4月6日
 月光川河川公園から石橋越しに見る鳥海山がいい。この石橋は今は使われていない。一方の渡口に車が通れないように岩塊を並べてあるが、徒歩では渡れるようになっている。ひとつ上流の杉沢橋までは川の両側に遊歩道が設けられていて、往復すると丁度4キロ歩いたことになる。
 
 4月4日
 お袋の入っている特養老人ホームは3月いっぱいまで面会禁止だった。4月に入り、陽気のよさそうな日を選んで面会に行く。
 お彼岸に墓参りが出来なかったので墓掃除を兼ねて寺にも行って見たが、雪捨て場になっていたようで大量の雪が残っていて次回に持ち越しとなった。
 横手盆地が一望出来て、桜の時期になると全山が綿あめのように見える八乙女山で持って行ったお握りを頬張る。
   
 4月2日
 酒田市大森自然公園に小規模なカタクリの群落がある。
 盛りまでは、1週間ほど早い感じだった。
 小高い丘が連なるこの里山の中には出羽国府に特定されている城輪柵(ここから4~5キロ離れた田んぼの中にある)の出城跡もある。
 食用にもなるアマドコロが天を指すように芽を伸ばし、キクザキイチゲが白と紫の花を点々と散らし、キバナオウレンの群落が靄の様に白く枯野を覆っていた。
 3月26日
 鳥海山越しに日が昇る。日の出の位置もかなり北の方に戻って来た。
 それにしても魚が釣れない。
 3月25日
 あのエゾヤマザクラが五分咲きほどになっていた。
 なかなか気温が上がらないせいで開花は遅々として進まない。
 3月20日
 ようやくアカモクの漂着が見られるようになった。秋田県ではギバサと呼ぶ春先の欠かせない味覚だ。さっと湯通しして刻むとメカブの様に粘りが出る。それにダシ醤油を点らして熱々ご飯にかけて食べるのである。
 TVで花粉症に効くと取り上げられてからブームが起きているらしい。

 
 3月16日
 寒暖の繰り返しで、開花まで1週間余もかかってしまった。枯野原に紛れ込むように控えめに咲いている。
   3月8日
 道の駅鳥海の裏山(砂丘)は広い公園になっている。開けた場所の大半をグランドゴルフコースが占めるが、周りは厚い防風林になっている。
 クロマツの中にコナラなどの広葉樹が生え、時期になるとエゾヤマザクラの若木がこんなにあったのかと感心するくらい点々と花を咲かせる。
 この木は、中でも一番早く花を咲かせる。もう、こんなにも蕾が膨らんでいる。
 3月2日
 月光川の鮭人工孵化場からサケの稚魚の放流が始まった。空からはカモメ、ウ、アイサなどが鳥山を作って、この稚魚を襲う。
 海の中ではスズキが追い回し、そのスズキを狙って釣り人が集まる。
 テトラや岩場に乗って、何時回遊して来るか分からないスズキを待つ根気と体力の要る釣りだ。
 2月28日
 寒ダラのオスは、丸買いでも最盛期にはキロ2千円を超える。
 秋田県にかほ市に漁協直売所があり、時々覘くいては、寒ダラ祭りなどの行事を外して値段が下がるのを待っていた。ところが時化の日が多くてずるずると寒ダラの時期は過ぎてしまった。
 この日も店頭に並ぶタラの数は少なかった。オスがキロ千円と云うのに惹かれて、4キロ超の奴を買ってしまった。
 このタラ、童貞ではないらしくダダミ(白子)は痩せ気味だったが、腹にはたっぷりと詰まっていた。
 2月24日
 天気が目まぐるしく変わる。道の駅鳥海の裏の砂丘に防風林に囲まれた森の公園が置かれている。季節風が強い日は格好の散歩コースだ。雪が消えると、ここの広いグランドゴルフコースに老人たちが集い歓声が上がる。
 陽が射した頃合いを見計らい散歩に出た。いきなり小雪が舞い、頭上に幻日が浮かぶ。
 
 1月3日

 いつも不思議に思うのだが、何故か海藻は水温が低下する冬に成長する。陸の植物は真逆なのだ。
 日本海に冬の嵐が連日吹き荒れ、磯や防波堤に大波が砕ける頃になると、飛沫が掛かる岩肌に岩ノリがびっしりと生えてくる。
 海藻は漁業権の関係で一般人の採取は禁じられているが、季節の味を一掴み。
 岩ノリはひも状に成長する。結構固くて生のままだと風味に乏しい。細かく刻んで圧力鍋で煮て柔らかくしてから調味液を混ぜてさらに炊き上げてみた。

   1月2日

 冷たい北西の季節風が荒ぶる時化の海。打付ける波は3mをゆうに超えている。防波堤の上に密集した人影。産卵に押し寄せたハタハタを捕食するスズキを狙う釣り人たちだ。
 鋭いフックの付いたルアーを力まかせに飛ばし、掛かったら右に左にと縦横に走り回るスズキを釣るには隣人との間隔があまりにも狭すぎるのだが、これはいつもの光景だ。
 田舎出の私は、これを見る度にいつも田舎者の距離感を思ってしまう。私は働き盛りを距離感の測れない人で来てしまったからだ。
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